【ドイツ時計の真髄】グラスヒュッテ・オリジナルの時計とランゲ&ゾーネの時計はなぜ似ているの?

【ドイツ時計の真髄】グラスヒュッテ・オリジナルの時計とランゲ&ゾーネの時計はなぜ似ているの? - その他

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本日は、同じグラスヒュッテという地にルーツを持ち、比べられがちなブランド「グラスヒュッテ・オリジナル」、「ランゲ&ゾーネ」の生い立ちに焦点を当てて、改めてご紹介いたします。

■ グラスヒュッテの原点 ― 1845年、時計産業の誕生

【ドイツ時計の真髄】グラスヒュッテ・オリジナルの時計とランゲ&ゾーネの時計はなぜ似ているの? - その他

19世紀半ば、ザクセン州の小さな鉱山町「グラスヒュッテ」に、若き時計師フェルディナント・アドルフ・ランゲが工房を開いたことが全ての始まりでした。彼は、経済的に衰退していたこの町に時計産業という新たな希望をもたらします。
その後、彼のもとで修行を積んだ職人たちが独立し、複数の工房が誕生します。そしてグラスヒュッテは次第に「ドイツ時計の聖地」と呼ばれるようになりました。

■ 国営工房「GUB」から誕生したブランド

【ドイツ時計の真髄】グラスヒュッテ・オリジナルの時計とランゲ&ゾーネの時計はなぜ似ているの? - その他

第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断され、グラスヒュッテは東ドイツ側となります。このとき、複数の時計メーカーは統合され、「グラスヒュッテ国営時計会社(GUB)」として再出発します。統合されたブランドには“ランゲ&ゾーネ、モーリッツ・グロスマン”
などが含まれています。
個々のブランド名は失われましたが、その後も職人たちは技術の火を絶やすことなく、機械式時計を作り続けました。
この“国家プロジェクトとしての時計作り”こそ、後のグラスヒュッテ・オリジナルの礎となります。つまり、創業家や一族の名に頼らず、地域全体の技術と情熱によって守られたブランドなのです。

■ 1994年、グラスヒュッテ・オリジナルとして再出発

1990年のドイツ統一後、GUBは民営化され、1994年に「グラスヒュッテ・オリジナル」として新たなスタートを切りました。
「オリジナル(Original)」という名には、“正統なるグラスヒュッテの技術を継承する”という誇りが込められています。

同年、ブランドは完全自社製ムーブメントの開発を進め、デザインから組立てまでを自社一貫体制で行う体制を確立し、この姿勢は今も変わらず、ドイツ国内では数少ない“マニュファクチュール(自社一貫生産)”ブランドとして高く評価されています。

■ 一方のランゲ&ゾーネ ― 血筋による“名門の復活”

同じ地で復活を遂げたブランドとして「A.ランゲ&ゾーネ」が挙げられます。デザインが類似している時計もあるため、価格帯は違えど、お客様とのお話の中でもよく比較されるされます。
一度、戦火の中ブランドが途絶えてしまった“A.ランゲ&ゾーネ”ですが、戦争が終結後、曾孫ウォルター・ランゲ(Walter Lange)は当時IWC(インターナショナル・ウォッチ・カンパニー)の社長だったギュンター・ブリュームラインに協力のもと、LMHグループの支援のもと、A.ランゲ&ゾーネは正式に再設立されました。その後、1994年にコレクションを発表し、家名の誇りを胸に再出発します。
“家系による復活”がランゲの特徴とすれば、“技術と職人文化の継承”がグラスヒュッテ・オリジナルの歩んできた道と言えるでしょう。

■ 生い立ちが生む哲学の違い

【ドイツ時計の真髄】グラスヒュッテ・オリジナルの時計とランゲ&ゾーネの時計はなぜ似ているの? - その他

グラスヒュッテ・オリジナルの時計は、どこか温もりを感じるような作り込みが魅力です。
精密な仕上げに加え、実用性を重視した設計や、独自の美学をもつ文字盤づくりなど、“ドイツらしい堅実さと創造性”が融合しています。また、自社で文字盤製造を行っているのも特筆すべき点です。文字盤の色調、針の立体感、装飾の細やかさが、それらすべてに“職人の意志”が宿っています。

■ まとめ ― 職人たちが守った「もうひとつの正統」

ランゲが「名門の血筋」で復活したのに対し、グラスヒュッテ・オリジナルは「名もなき職人たちの努力」によって現代に受け継がれました。その歴史を知ると、ひとつひとつのモデルに込められた誇りや情熱がより深く感じられます。
“グラスヒュッテ・オリジナル”という名前は、まさにオリジナル=本物の継承者であることを示しているのです。

 

 

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