【グラスヒュッテ・オリジナル】の歴史に迫る。誕生の秘話とは?
皆様こんにちは。
いつもoomiya京都店のブログをご覧いただき誠にありがとうございます。
本日は【グラスヒュッテ・オリジナル】について詳しくお話させていただこうと思います。
oomiya京都店がグラスヒュッテ・オリジナルをお取り扱いしてから約2年経ちますが、最近では名前は知っている、聞いたことあるという方が増えたと実感しております。
では、名前は知っているけど、どんなブランドか詳しくは知らない。という方に向けて少しでも知っていただければと思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。

まず初めに
今回はブランドの歴史について振り返りしていこうと思います。
創立は1845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲが時計工房を建てたことから始まりました。
1951年の第2次世界大戦後は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立の過程において、残存するすべてのメーカーが国営に一本化。その結果、一大巨大企業として生まれ変わったVEBグラスヒュッター ウーレンベトリープ(GUB)が、今日のグラスヒュッテ・オリジナルの基盤となっています。簡単に言えば、複数のブランドが集結し国として時計を作っていました。
1990年10月3日、東西ドイツ統一に際して民営化し、独立してさまざまなブランドが誕生。高級路線に絞って機械式時計生産のみにシフトチェンジとなり、2000年にスウォッチ グループの傘下に入りました。豊富なノウハウを生かして、文字盤を含む全部品の約95%を自社内で製造。ドイツ屈指のオーセンティックなマニュファクチュールとして、最新鋭の加工技術をもって最高峰の時計技術の伝統を提示しています。後進の育成にも力を入れており、2002年に「アルフレッド・ヘルヴィグ時計学校」を開校。2008年には時計ミュージアムも新装移設し、時計産業都市の歴史継承者としての役割をも担っています。
元々は国の取り組みとして誕生した時計工房が、後にブランドとして再構築されたのがグラスヒュッテ・オリジナルです。

誕生「グラスヒュッテ・オリジナル」
1990年の民営化をきっかけにグラスヒュッテ・オリジナルが誕生したわけですが、その誕生に関わる最も重要な人物はハインツ・W・ファイファーという起業家です。
X線システムのビジネスで成功を収めた彼は「東側の再建を手伝いたいと思っていた。そのための最良の方法は、趣味(である時計)を職業にすることだった」ということからニュルンベルクの宝石商であるアルフレッド・ヴァルナーと共同で、信託機関からGUBを買収し、ブランド名をグラスヒュッテ・オリジナルと改めました。
そしてそこからハインツ・W・ファイファーが目指したのは、マニュファクチュールである旧GUBの製造プロセスを残しつつ、ラグジュアリーな時計にすることでした。そして彼はグラスヒュッテ・オリジナルの時計を作る上で3つの原則を定めました。
・時計が薄くないこと
・高い視認性を持つこと
・適度な重みを持ち、着け心地の良いこと
この3つを基に今もなお作り続けられています。
またGUBだったときは大量生産を行っておりましたが、量より質を重視する思考に変え、少量でクオリティを重視するようになりました。
現行モデル
グラスヒュッテ・オリジナルの現行モデルの中で一番有名なのは「パノ シリーズ」です。
アシンメトリーなデザインが特徴的なモデルです。




モデルの詳細についてはこちらのブログをご覧ください。
その次に「セネタ シリーズ」。
こちらのモデルは一見ドイツの伝統技法をあまり使われていないように見えてしまうほどシンプルなデザインですが、ムーブメントを見ていただくとよりわかりやすいかと思います。



そして「SeaQ」「シックスティーズ」「セブンティーズ」のラインナップとなっております。



各モデルの詳細につきましては、oomiya京都店のブログをご覧ください。
そしてご紹介いたしました、モデルの在庫状況に関しては店頭スタッフまでお問い合わせください。
投稿者:青木