新シリーズ「時計の歴史」明かされるジラール・ぺルゴの誕生秘話とは?創業者1791-ジャン=フランソワ・ボットの歴史に探求する。
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時計が三度の飯より大好きな村上です。
時計を知れば知るほどにブランドの誕生秘話やブランドのストーリーに深く惹かれます。(僕だけ?)
そんな新シリーズとして「時計の歴史」について深くブログを書いてみたいと思います。
それでは張り切っていきましょう!!やる気がーーーーーーーーーーーー出ますっ!!!
まさに天才?創業者ジャン=フランソワ・ボットの原点とは…
12歳にして時計職人としての徒弟修行を始めたジャン=フランソワ・ボット。
卓越した精密さと想像力を兼ね備えた若き天才は、20歳になる前に彫金師、時計師、宝飾職人、金細工師としての技能すべてを極めてしまいます。

時は進み1791年、富ではなく“完璧の追求”に突き動かされたボットは自らの工房を設立。※後のジラール・ぺルゴ
あらゆるメティエを一つ屋根の下に統合し、世界で初めてとなる「マニュファクチュール」=統合型時計製造工房という概念を創造しました。

芸術家であり起業家でもあったボットは、創造性と先見性の象徴でした。鋭い知性と尽きることのない好奇心から、超薄型時計や銃型の香水スプレー、花や蝶を象った華やかなタイムピースが次々と生み出されます。ジュネーブからパリ、フィレンツェ、さらには中国にまで広がった彼の作品は、世界を魅了し続けました。

彼は時代を切り拓いたパイオニア
“ジラール・ペルゴ以前のジラール・ペルゴ”として、今日のブランドの精神をすでに体現していたのです。

後の「ジラール・ペルゴ」の名前の由来になった?運命の二人の出会いとは?
1856年、コンスタン・ジラールとマリー・ペルゴは、それぞれのビジョンを結びつけ、ジラール・ペルゴという名を誕生させました。

時を刻む鼓動に深く魅了されたコンスタン・ジラールは、他者が単なる機構としか見なさなかったところに美を見出しました。同時代の時計師たちがムーブメントをブリッジや地板の下に隠そうとしていた時代に、彼はあえてそれを見せるという選択をしました。
時間の仕組みや時計の概念の“建築”を再構築し、彼が生み出した機構は、厳密であると同時に視覚的調和を保ち、時計ムーブメントを審美表現の領域へと引き上げ、今のスケルトン文字盤の前身に繋がる功績を残しております。

革命を起こそうという意図はなかったにもかかわらず、結果としてコンスタンは、エンジニアリングと芸術を不可分のものとする新しいスタイルを時計界にもたらしたのです。
ここに、オート オルロジュリーにおけるデザインという概念が誕生しました。
と今日はここまで….。次回の新シリーズ「時計の歴史」をお楽しみに。
投稿者:村上







